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人生は見えない糸で繋がっている。身近な人の言葉を大切にする<No 129>

税理士になる 大学院受験

)山本守之『税理士になる法』(1978年、初版、日本実業出版社)

失敗からしか学べない

母親の何気ないひと言から始まった

小学生の頃、母親に言われた言葉があります。

「ゆうは、商業に向いている」

昭和50年代の頃なので、当時の私が「商業」と言われて思いついたことは「そろばん」ぐらいでした。

母親が意図したのか、意図していないのかはわかりませんが、小学三年生から自分の意志でそろばんに通うことになりました。

新しい習い事と、新しい道具をあてがわれて気分は高揚していました。

そのころのそろばんは、今でいうパソコンでしょうか。
(そこまでではないにしても嬉しかったです)

6級、5級、4級、3級、準2級まで、ストレートで合格しながらも、2級でつまづきました。

その後、2回不合格となり、3回目で不合格ならそろばんをやめる。

そんな思いで受験した3回目。

結果は、不合格でした。

それからは何をやっても2級止まりでした。

水泳2級、英検2級、簿記2級。

子供の意見を尊重してくれる親の考えと、最後まで突き抜けることが出来なかった私の能力の無さもその理由でしょう。

これらの苦い経験が、のちに何回すべろうが法人税を受験し続けることに繋がったのでしょう。

大きく影響した父親のひと言

それから13年後、大学5年生で就職先も決まり、バイトや遊びで学生生活の最後を満喫していました。

そのときに、父親から言われたことが、「営業も数字わかっておいた方がいいぞ」「簿記やっておいたらどうだ?」でした。

このとき初めて「簿記」という言葉を身近に意識しました。

それから、就職までの間に、全商簿記の3級を受験し、合格しました。

この経験がなければ、その後、税理士を目指すこともなかったのでしょう。

のちのキーワードとなる一冊の本

就職後は、営業で外回りをしていました。

夜のスナックやラウンジへカラオケの機械を売る営業です。

カラオケの営業は、お客さんで賑わうまでの時間が勝負でした。

なので、夜の9時以降は、機械の故障や管理店からクレームの対応のために事務所に帰ることもできずに、営業車で待機していました。
(本来は、営業しないといけないのですが)

大阪のJR福島駅付近でひとりマックした後、ふと入った書店で、冒頭の本を手に取り、そのまま購入しました。

税理士になる 大学院受験

山本守之『税理士になる法』(1978年、初版、日本実業出版社)

私の手元にあるものは、1995年の第32刷です。

今から21年前で、私が、22歳の頃です。

そのころは、深夜まで会社にいることが多く、年間通して1冊も読書などしていなかった私が、
なぜかこの本を手に取り購入しました。

恐らく転職を考えていて、夢のある職業に思えたのでしょう。

そして、何かにすがりつきたかったのかもしれません。

その後の自分に何かしらの影響があったのかもしれませんが、この本を読んだ当時は、税理士なんて遠い職業だと思っていました。

しかし、その後も私は税理士への道へ向かいます。

長い道のりですが。

時の流れに身をまかせる生き方も悪くない

人生のターニングポイントは人それぞれにあります。

私にとって、「税理士という職業」につくまでの導線は、見えない糸で繋がっていたのかもしれません。

  • 母親が、「税理士」とは言わずに「商業」と言ったこと
  • 父親が、「税理士」とは言わずに「簿記」と言ったこと

今考えると、全てに意味があったように思います。

仮に幼少時代から「将来は税理士」と決めつけられるような育てられかたをされていたなら、
素直にこの道を選んではいなかったでしょう。

これからの育児に生かしたいものです。

<編集後記>
ラン10キロ
途中で雨に降られる
11月にある友人の結婚披露パーティーが、淀川ハーフマラソンの日程と重なることに今日気付く。
スケジュール管理の甘さを反省する。

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