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生き方

「幸せ」は「お金」で手に入るものとリンクさせない。クルマと持ち家はなくても死なない<No 939>

yujiro

)横浜 元町

Contents

価値観は時代で変わる

バブルが崩壊したのは、大学4年の頃でした。

そのため、学生時代はバブル崩壊以前であり、
人の価値をモノやステータスで判断する風潮がありました。

高校であれば、革ジャン、TRUSSARDIのジーンズ、Vuittonのバッグ。

大学であれば所持するクルマ。

今となっては、どれだけ高価なものを所持していても、
人柄や発する言葉に魅力がなければ、人として惹きつけられることはありません。

しかしながら当時はそういったものを羨ましくも思っていました。

「幸せ」は「お金」で手に入るものとリンクさせない

独立してからのクルマと自宅

独立後、「自宅で開業するなら持ち家」と考えた時期がありました。

展示場には2度、家族で見に行っています。

結果は、独立以降3年分の所得証明がいるということで見合わせることに。

今思うと、買わなくて正解でした。
(というより、ローンが組めなかったことに感謝です)

そして、「独立したならクルマを」と、家族の要望により新車を購入しましたが、
一年と少しで手放しました。

理由は、乗る機会がそれほど増えず、費用対効果でいえば、
費用が効果を上回ったからでした。

週末、娘を連れてどこかへ行こうと思っても、風邪の流行りや体調を崩したり。

結構な値段のグランピングを予約したら、台風で閉鎖になったりと。

それなら仕事で乗ろうと、お客様のところまでクルマで行ったら
渋滞に捕まり、電車の方が速くて楽だったなど。

徐々に乗る機会が減っていきました。

しかし、どれだけ乗らなくても維持費はかかります。

シェアサービスも充実してきたので、最後は手放すことにしました。

地理的環境により本当にクルマが必要であれば、手放すことはなかったのでしょうが、
大阪市内であればクルマがなくても不自由に感じることはありません。

家やクルマを購入することで何かしらのステータスを得たかったのかもしれません。

ただ、自分が生きていくために何を必要としているのか深く考えてみると、
必要としたのはステータスではなく、自分らしい生き方でした。

自分らしい生き方とは、

  • 自分がやりたいことを
  • 自分がやりたいときに
  • 自分のやりたいように

やれること。

これが何よりも大切なものだと感じています

留学時代

留学したのは大学5年、ちょうどバブルが崩壊した頃ですが、
国外にいる日本人留学生はそこそこ裕福な方が多く、
家業を聞くと大概の方が自営でした。

そんな留学生のほとんどが、現地でクルマを持っているなか私は持っておらず。

持っていないのは、短期の留学生か旅行者くらいでしたが、
そんな環境にも負けずに暮らしていました。

語学学校へは、トローリーと呼ばれる路面電車やバスを利用して通っていました。

1件目のホストの家は市街地から離れたメキシコとの国境近くにあり、
クルマがないので、近所で同じ語学学校へ通う日本人に乗せてもらって通ってました。

とはいえ、たまには寄り道や他の留学生との交流を深めたいので、
そんなときは、その日本人に断りを入れてから、トローリーで帰っていました。

ただ、このトローリーがべらぼうに遅く、ヒスパニック系もたくさん乗車しているし、
最寄りの駅からホストの家まで結構歩きます。

夜になると銃声も聞こえる地域だったので、4ヶ月ほどで市街地に近いホストに
変えてもらうよう語学学校へ頼みました。

語学学校は次のホストを見つけてくれたのですが、
先程の日本人にエラい咎められました。

彼は、日本人とも英語で話し、日本語を(あえて)話しません。

その日本人:「なんでホストを変えるんだ?(英語で)」
私:「家が遠いから。クルマもないし(英語で)」
その日本人:「Thats not problem(それは大した問題じゃない)」
私:「俺にとっては問題や(英語で)」

自分はホストから良くしてもらい、クルマも所持しているので不自由ないのでしょうが、
こちらは1年という限られた期間で結果を残さなければいけません。

これ以外にも、他の留学生と一緒になっていじめられましたが、
外野の雑音に負けない精神はこの頃身についたのかもしれません。

このとき、太平洋が見渡せるOcean beachというところへ越し、
その後、大学入学時に学校近くのホストへと合計3件お世話になりました。

アメリカは車社会なので、車がなければどこへもいけませんが、
私はクルマを調達するのではなく、引っ越すことを選びました。

食事が出ない、何の世話もしないホストが多いなか、ひとりで暮らすという手もありましたが、
英語を話す環境を手放すことはしませんでした。

話す環境をなくしてしまうと、何をしに来たのかわかりません。

不平不満は英語の練習代わりにホストへぶつけていました。

あの頃の図太さがあれば、某会で我慢することもなかったでしょう。

クルマを所有すること、自分で部屋を借りることがここに来た目的でなく、
英語を磨くために来たのです。

ヤドカリの如くホストを変えることで、私は英語を喋る環境を維持することができました。

1年後の帰る頃、ホストもネイティブでなかったので、
大学のクラスメートの家に世話になることにしました。
(カナダのケベック出身《フランス語圏》のおばちゃんと、
オランダ語と南アフリカ語訛りのおっちゃん)

中国系インドネシア人のクラスメートとはウマが合い、帰国する前に彼のクルマで、

  • アリゾナ州のフェニックス
  • ネバダ州のラスベガス
  • ユタ州のブライスキャニオン

を回りました。

自分のクルマがなくても、自宅がなくても、話す環境さえあれば学ぶことはできます。

モノで人の価値は上がらない

モノや着飾ることでステータスを上げようとしても、
自分の価値が上がるわけではありません。

走りたければスニーカー1つあれば十分です。

自転車は妻のママチャリを10年乗ったので、いいのを買わせていただきました。

)乗って鍛えなきゃ意味はありません

<編集後記>
前日は、21時過ぎに就寝。娘より早く寝てました。
5時30分起床後ルーティン
午前中、近所のお客様に申告書控えを返却、月次顧問で自宅に来られる
午後から、ブログ執筆、整骨院でふくらはぎと太もものメンテ、夕食後ブログの続き

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